聖書勉強3 2022/6/7
ももこ、 Ayumi
神の現れは人の観念と一致することはない。ましてや神は人の言うままに現れない。神は自らの判断で、自らの計画に従って働く。さらに、神にはその目的と方法がある。神がどのような働きをしようと、人と話し合ったり人の助言を求める必要はない。ましてや神が人間一人一人にその働きを知らせる必要などなおさらない。これが神の性質であり、さらにそれはすべての人が認識すべきことである。もし神の現れをその目で見、神の足跡をたどりたいと願うなら、自分自身の観念を捨て去らなければならない。神にこれをせよあれをせよと命じてはならない。ましてや神を自分の枠の中に閉じ込めたり、自分の観念の中に押し込めたりすべきでない。そうではなく、どのように神の足跡をたどるべきか、どのように神の現れを受け止めるべきか、どのように神の新しい働きに従うべきかと問うべきなのである。これが人のすべきことである。人は真理ではなく、真理を自分のものにしていないので、人は探し求め、受け入れ、従うべきである。
「刑罰や裁きという神の働きの実質は、人類を清めることであり、それは、最終的な安息の日のためである。さもないと、全人類は、それぞれ自身と同類のものに属することができないか、あるいは安息の中に入ることができない。この働きは、人類が安息の中に入るための唯一の道なのである。清めの働きこそが人類の不義を清め、刑罰と裁きの働きこそが人類の中のそれらの不従順なものを全部さらけ出すのである。それによって、救うことのできる人と救うことのできない人とが識別され、生き残ることのできる人と生き残ることのできない人とが区別されるようになる。この働きが終わる時、生き残ることを許された人は、みな清められ、人類のより高い境地に入って、地上でのさらにすばらしい第2の人生を享受する。すなわち、彼らは人類の安息の日に入って神と共に生活する。生き残ることのできない人が刑罰や裁きを受けた後、彼らの正体が全て露呈される。それから彼らはみな滅ぼされ、サタンと同じように、もう地上で生きることができなくなる。未来の人類はもうこのような人々を含まない。このような人々は究極の安息の地に入る資格がなく、神と人が共有する安息の日に入る資格もない。なぜなら、彼らは懲らしめの対象であり、邪悪で、義なる人ではないからである。……悪を罰し、善に報いるという神の最終的な働きは、全て全人類を完全に清めるために行われる。そうすることによって、完全に清くなった人類を永遠の安息に導き入れることができる。神のこの段階の働きは最も重要な働きであり、神の経営の働き全体の最後の段階である。」
ヘブライ人への手紙 04章 12節
神の言葉は生きていて、力があり、いかなる両刃の剣より鋭く、魂と霊、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができます。
ヨハネによる福音書 17章 17節
真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの言葉は真理です。
ヨハネの黙示録05章 01節~05節
また私は、玉座におられる方の右の手に巻物を見た。その表と裏に文字が記されており、七つの封印がしてあった。また一人の力ある天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者は誰か」と大声で叫んでいるのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開き、見ることのできる者は誰もいなかった。この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した。すると、長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を解き、この巻物を開くことができる。」
https://www.youtube.com/watch?v=d8p-XNBENMg
「……この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる。この段階の働きを救いの働きと考えるよりは、むしろ清めの働きと言ったほうが適切だろう。事実、この段階は救いの働きの第二段階であるとともに征服の段階でもある。」
終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。
裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜(みにく)さを発見する。...終わりの日において、神はしるしや不思議ではなく、言葉を用いて人間を完全にする。神は言葉によって人間を露(あら)わにし、裁き、罰し、人間を完全にし、それにより人間が言葉の中に神の知恵と愛らしさを見、神の性質を知り、神の業(わざ)を目にするようにする。
「神がこの時代に実行する働きは、おもに人間のいのちのための言葉を与えること、人間の堕落した性質および人間の本性の実質を暴くこと、そして宗教的観念、封建的思考、時代遅れの考え、さらに人間の知識と文化を一掃することである。これらのことはすべて神の言葉による暴きを通して清められなければならない。終わりの日において、神はしるしや不思議ではなく、言葉を用いて人間を完全にする。神は言葉によって人間を露わにし、裁き、罰し、人間を完全にし、それにより人間が言葉の中に神の知恵と愛らしさを見、神の性質を知り、神の業を目にするようにする」
「神には人間を完全にする手段が多数ある。神はありとあらゆる環境を用いて人間の堕落した性質を取り扱い、様々な物事を用いて人間を暴き出す。神は、ある点に関しては人間を取り扱い、別の点に関しては人間を暴き、また別の点に関しては人間を明らかにし、人間の心の奥にある『奥義』を掘り出して明示し、人間にその数々の状態を明らかにすることにより本性を示す。神が実践的であることを人間が知ることができるように、神は暴露、取り扱い、精錬、刑罰など、様々な手段を通して人間を完全にする」
神様は堕落した人類を裁き清める時真理のあらゆる側面を考慮し、神様に抵抗して逆らう人間のサタンの本性を裁き明らかにして、神様の聖なる不可侵で義なる性質を見せられます。神様の御言葉による裁きで、人間はサタンによる深い堕落を自覚し、犯されない神様の聖なる本質と義なる性質を理解できるので、神様に畏敬の念を抱きます。これで罪の束縛から解放され清められて救われるのです。神の言葉を読むと、神様に直々に裁かれ正体を暴かれている剣のような御言葉に反抗的なサタンの本性を裁かれ暴かれていると実感できます。サタンに深く堕落させられた傲慢でうそつきで、わがままな卑しい本性を自覚できます。信仰していると言いながら、神様を尊ばず畏れの念も持たず神様も人も欺こうとします。神様の代わりに人間を崇拝して従い地位をひけらかし名声を求めて人を従わせようとし、神様と対立までして自分の王国を築こうとします。自然災害や人災に遭うと神様に不平を言い逆らって、神様の新しい働きが自分の思い通りにいかないと当時のユダヤ教のパリサイ人のように振る舞い、勝手に神様を解釈し、裁くのです。神様のために少しだけ尽くし奉仕し苦労しただけで、後輩に対して尊大になり、神様からお恵みと祝福を要求します。要求が満たされないと気落ちして奉仕を放棄します。サタンによる堕落のひどさがわかりますね! 人間らしい生き方ではありません。私達は本質的にサタンの化身です。サタンによる堕落を自覚して、激しい恥と後悔に苛まれ、汚されない神様の聖さと犯されない義なる性質を認識しました。神様の御前に跪き自分のサタン的本性を憎み悪事を懺悔せずにはいられません。神様の裁きと刑罰を受け入れ被造物の本分を尽くし、神様の采配には何でも従うようになる。これが神様の言葉による裁きが選民にもたらす成果なのです!
神様の裁きと刑罰のおかげで皆さんにも分かったことですが、神様は言葉によって私達を裁き暴くだけではなく、私達の実際の状況を考慮し様々な環境や人や物事を通して私達を試し正体を暴き刈り込んで取り扱い、戒められます。神様の裁きと刑罰、刈り込み、取り扱いによって私達は自分の傲慢さと頑固さを知ります。裁きと刑罰を受けなかったら私達の性質は変らないでしょう。例えば本分を尽くしていても真理を実践しません。元々傲慢なため好き勝手な事をし名声を得るとひけらかし霊的な闇に落ち込み、神様の臨在を感じなくなり心は痛みます。その時、心の中で神様の言葉に叱責されるのです。時には神様は人や物事を配置して刈り入れや取り扱いをしますが、それは私達が御前にもどり反省して自分自身を知り人を支配しようという傲慢な野心を自覚するためです。自分の本性が大天使と同じだと気づいた私たちは畏れおののき、神様の性質が不可侵であることを感じて神様の前に跪き祈って悔い改める。その時神様の御言葉の慰めと励ましで神様が人類を救う上での御心が全て理解でき、消極的で弱気になることもなく、信念を持って真理を追求し性質を変えようとする。神様の実際の刈り入れと取り扱い、戒めと叱責を何度も経験すれば、傲慢な性質は変化し本分を尽くすにも控え目で以前のように横柄ではなく、自分の堕落を進んで認め務めて神様を高めようと証しをし、これこそ心が安らぎ楽しめる生き方だと感じる。神様の救いの働きは非常に実際的です! 神様の裁きと刑罰を経験して神様の義の性質を本当に理解し、神様がどんな人を好み逆に嫌いどんな人を救い逆に排除しどんな人を祝福し逆に呪うのかも神様が全て見通し支配していることも認識できます。神様はすぐ側におられ、私達を導き救い、神様の示す真理は堕落した人類を裁き罰すること、見通し清めることであり、神様を畏れ堕落した性質を変えることで、何かあった時に私達は真理を求め実践し、神様に従い徐々に真の人間として生きるようになるのです。きょうまで成し遂げてきた事は終わりの日の神様の裁きの働きの成果であり、神様の偉大な愛と救いのおかげなのです。

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