聖書勉強2 2022/6/6

ももこ 質問 :主がまず受肉して戻られるということですが、聖書にこうあります。 「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」(マタイによる福音書 24:29-30)。主が戻られるなら、輝きの中で雲に乗って来られたはずだ。天と地は震え、太陽も月も輝きを失うのだ。主は受肉して戻られるはずがない。 回答:主の再臨に関してはみんな勘違いしています。雲に乗って来るという預言だけを頼りに主を待っているけど、見逃している預言もあります。聖書のいろんなところに主の再臨の預言があります。例えば、主の預言に「見よ、わたしは盗人のように来る」(ヨハネの黙示録 16:15)とあります。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした」(マタイによる福音書 25:6)ともあります。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」(ヨハネの黙示録 3:20)。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカによる福音書 17:24-25)という言葉があります。預言では主が盗人として人の子として扉を叩きながら話しかけるとあります。雲に乗って大衆の前に姿を現すという以外にひっそりとお見えになる可能性もあるでしょう? 主が雲に乗って来ることだけを信じるならば、ひっそりやって来るという預言がどうやって成就しますか?考えてみれば、主が雲に乗って見える時は多くの兆しがあって、太陽も月も明るさを失い、星は空から落ち、天と地は揺れる地が震えるのは確かで、誰にでも見えるし、それがわかります。では、主が「盗人」として来て扉を叩くという預言はどう成就しますか?主が雲に乗って来ると誰にでも見えます、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした、などと証する必要はないでしょう? 主はこうもおっしゃっています。「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」と。この預言はどうやって成就しますか?主が終わりの日に戻られて働きを完了するという預言も聖書に沢山あって、神の家から始まる裁きの働きがその例で、主は卷物を開けて七つの封を破り収穫して選別し、羊と山羊、小麦と毒麦、良きしもべと悪しきしもべをより分けます。主が光に包まれ、白い雲に乗って来れば誰にだってわかるし、人類すべての前に現れるのなら、それは復活した主イエスの霊体で、誰もが地にひれ伏して従うでしょう? 誰が主を拒みますか?そうすると羊と山羊、良いしもべと悪いしもべをどうやって区別しますか? どうやって収穫と選別の働きをしますか? 終わりの日の主の再臨は聖書に沢山の預言があるのに、他の預言は無視して雲に乗って来るというほんの一部の預言だけを信じて、主の再臨に制限を置く、そうすると主の再臨を迎えられる機会を逃し拒まれてしまうかもしれません。  預言では主が盗人として来ると言っています。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした」(マタイによる福音書 25:6)。「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカによる福音書 17:25)。神が受肉して現れ、働きをすることでこの預言は成就します。外見は普通の人で普通の人のように話すから、それが主の現われと働きだなんて、誰も想像できないんです。それこそ主が盗人として来るという預言を成就します。「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう」(ヨハネの黙示録 3:3)。この預言はキリストの現われと働きが、あっという間に全ての宗派や教派に広がることを意味していて、盗人のように誰も知らないうちに成し遂げられます。キリストは神様の出現を求める全ての者に向けた言葉を証し、先に福音を聞いた信徒はキリストの言葉を伝えます。これが主が扉を叩いているということです。人が想像するように主が雲に乗って公然と降りて来るなら、毒麦やヤギや悪いしもべ反キリスト者もひれ伏して、キリストを受け入れ崇拝するでしょう。それではそれらの正体は暴けないでしょう? 悪の者や不信心者でさえ神を受け入れるでしょう。それだと世界は大混乱にならないのか? 終わりの日の神様の働きはどうなります? 神様が受肉して人の子として現われ働いたから、主イエスの預言が語られ終わりの日に戻り働くからこそ、完全に成就されます。神が現れ、人類を清め救うために全ての真理を示し、終わりの日の裁きの働きをされる。神様の羊はその声が聞こえて、宗派や教派に関係なく賢い乙女は、神の言葉を理解し、それが真理で神様の声だとわかったので、神を受け入れます。これが携挙です。神様の御座の前に引き上げられ、キリストの裁きの座の前で裁きと刑罰を受けたこの人達が最初に神様に清められ、勝利者にされ最初の果実になった人達です。これはヨハネの黙示録の預言を成就しています。「彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった」(ヨハネの黙示録 14:4-5)。神様がこっそりお見えになり、勝利者の集団を作ったら、神様の偉大な働きは完了します。その後で雲に乗り、全人類の前に公然と現れます。みんなが言う主の再臨の大きな出来事はその時に起こりの預言が成就します。「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」(ヨハネの黙示録 1:7)。主が公然と雲に乗り降りて来るという情景で、誰の目にも明らかでしょう。キリストに逆らい非難した者でさえ雲に乗って来る主が見えます。だからこそ「また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」とあるのです。主の再臨の預言は基本的に全てが成就していて災害の後に公然と雲に乗り降りて来るという預言を残すのみです。  神は言われます。「多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることを知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりの時であり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。『白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ』という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し真のいのちの道を解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。彼らはあまりに頑なで、自信過剰で、傲慢である。どうしてこのような堕落した者たちがイエスに報いてもらえるだろうか。イエスの再臨は、真理を受け入れることのできる者には大いなる救いであるが、真理を受け入れることのできない者にとっては、罪に定められるしるしである。あなたがたは自分自身の道を選ぶべきで、聖霊を冒涜したり真理を拒んだりするべきではない。あなたがたは無知で傲慢な者でなく、聖霊の導きに従い真理を慕い求める者にならなければならない。そうすることでのみ、あなたがたの益となる。」

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